ケニアでの協力隊員としての活動(仕事),食事など生活を記録していきます。
ナイロビのイタリアン・レストラン「トラットリア」で食べたシーフード・リゾット(税込み720sh)です。食事が出てくるまでの間,パンが出てきて空腹を癒してくれます。
ナイロビ郊外,ジョモ=ケニヤッタ空港近くの「パナリー・ホテル」です。『地球の歩き方』には載っていませんが,ケニアでも最新・最高級のホテルで,ヒルトンやセレナよりも綺麗です。値段もすごい(シングル1泊240ドル)ですが…
「パナリー・ホテル」2階(1st Floor)にあるブラジル料理のレストラン「シュラスコ」です。名前の通り,ブラジル料理シュラスコ(串に刺した焼肉)が出てきます。食べ放題で,14種類もある肉が,次から次へとテーブルまで運ばれてきます。「もう限界!」という時は,テーブルに置かれた丸い札を裏返します。この札,表は緑で裏は赤になっていて,大変分かりやすいです。
他にも,サラダやスープ,コーヒー・紅茶,デザート(パイナップルのシュラスコ)までついて,1600sh(約2700円)です。ケニア人にとってはかなり高額ですが,日本で食べることを思うとかなりお安いと言えます。まあ,任期中に一度は行ってもいいかな,というレストランです。
ティカにある「モヨ・チルドレン・ホーム」のオフィスです。日本人が代表をされている,ストリートチルドレン達のための保護・更正施設です。
ここはティカ・スタジアムの中で,スタジアムの一室を無料で借りているそうです。子ども達は,午前中,となりの会議室で勉強をし,外でサッカーに興じます。“施設”という硬いイメージがないので,ストリートチルドレン達も集まって来やすいようです。
ティカにあるストリートチルドレン達のための保護・更正施設「モヨ・チルドレン・センター」に集まってきた子ども達が,サッカーをしているところです。この日は,たまたまこられた日本人の方も一緒にサッカーに興じていました。ケニアの子どもたちって,本当にみんなサッカーが大好きです。
ティカにある「ブルー・ポスト・ホテル」です。3つの滝(写真の滝はチャニア・フォール)に囲まれたホテルで,中庭で滝を眺めながら飲むビールは最高です。部屋もコテージ風になっていて,ベランダからやはり滝を眺めることができます。広い敷地内には,土産物屋や遊園地,なぜかダチョウ牧場まであって,ティカの観光スポットになっています。ちなみに料金は,レジデント(ケニア在住者。IDカード保有者)で1泊2000sh(約3400円)です。
ヤッタのNYSで活動する野菜隊員です。日本の有機農法を広めようと奮闘中ですが,学校の方は,ナイロビの大型スーパーに卸すカラーピーマンなどの高級食材の栽培(インカムジェネレーション)に夢中とのことです。
ティカ郊外にある「ティカ更正院」で野菜隊員として活動する隊員です。彼はここの学校農場で様々な野菜を栽培し,子どもたちの給食の向上に貢献しています。また,写真のように子ども達と積極的に触れ合い,子どもたちのよき“お兄さん”になっています。
ナイロビのハーリンガムにある中華料理「上海」で中華鍋(上海鍋)を頼みました。1000sh(約1700円)で食べ放題です。中身も,内陸のナイロビでは珍しいイカ,エビ,カニ等のシーフードに,豆腐,ダイズ麺,白菜,青梗菜,春菊等の野菜類,それに羊肉のシャブシャブまであります。何といっても,いろんな具材から出るエキスたっぷりのスープが最高で,煮込めば煮込むほど美味しくなっていきます。
2人以上でないと注文できませんが,ボリュームたっぷりで本当にお得です。
マチャコス更正院の授業風景です。別に教室が足りなくて“青空教室”というわけではありません。それどころか,マチャコス更正院の教室は,オザヤやティカなど他の更正院と比べて,広さも設備もダントツなのです(まるでセカンダリー・スクールみたい)。でも,マチャコスは乾燥地帯にあり,とにかく暑い!午後の授業はとても教室ではできないので,こうして木陰でスワヒリ語を勉強しているのです。
マチャコスはトゥクトゥクの町。他の町と違い手軽な「乗り合いタクシー」として使われています。3人で乗れば,1人あたり20sh(約34円)でタウン内を行ってくれます。
マチャコス更正院で私と同じく体育の授業を担当する隊員の授業風景です。この日のメニューは「凍り鬼」。隊員自ら鬼になって子どもたちを追い掛け回し,見本を示しています。抜けるような青空とサバンナの大パノラマが広がる素敵なグランドですが,とにかく暑い!よく体力が持つなぁと感心してしまいます。さすがに若い!
ナイロビのハーリンガムにあるインド料理レストラン「ムラガート」で,エビカレーとタンドリーチキンを食べました。ナンも3種類あり,ラッシーまである本格的な店です。無料のサラダバーもあり,料金はリーズナブルです。
ナイロビのエチオピア料理店「ブルーナイル」のコーヒーです。本来エチオピア料理では「コーヒーセレモニー」で松脂を炊いた中で振舞われるのですが,この日は1人だったので普通のカップで出されて少し興ざめでした。
ナイロビのエチオピア料理店「ブルーナイル」です。この日注文したのは,「ドロワ」という鶏肉のカレー(卵入り)です。甘辛い日本人向けの味付けでした。下に一面に敷かれているのが,エチオピアの主食インジェラです。350sh(約600円)ですが,これ1つで十分満腹になります。エチオピア料理は,どの店もとてもリーズナブルです。
ケニア滞在もあと1週間。振り返ってみると,いつもナイロビ上京時は節約(ナイロビはとても物価が高い)のためにドミトリーで自炊していました。でも,東アフリカ最大の都市ナイロビには,いろんな国の料理を出すレストランがたくさんあるのです。せっかく日本よりも安く食べられるのに,食べずに帰国するのはもったいない!
というわけで,帰国までの1週間,ナイロビの各国料理を食べ歩くことにしました。初日はエチオピア料理です。ドミトリーの周辺には,エチオピア料理レストランが4軒(ハベシャ,ピンクレディ,ブルーナイル,レッドドラゴン)もあります。この中で,今まで行ったことがなく,一番近くにある「ブルーナイル」にしました。店内はご覧のようにエチオピアの民族道具で飾られており,食事を出すテーブルもエチオピア風のわら?細工の見事なものです。
「お別れパーティ」終了後,更正院の生徒たちと別れの挨拶をしているところです。「スポーツ章テスト」各種目のチャンピオン(オザヤ更正院内)に手作りの表彰状を手渡しました。この表彰状,裏面は日本の浮世絵になっています。
「お別れ会」で振舞われた食事です。左がティラピアを揚げてトマトソースで煮込んだもの,右は定番料理のニャマチョマです。オザヤのニャマチョマはナイロビのと違って蒸し焼きなので,とても淡白な味で食べやすいです。
「お別れ会」でアフリカ土産をプレゼントをいただいたお礼に,日本グッズをプレゼントしているところです。家に飾っていた“百忍大和”の掛け軸を教頭にプレゼントしました。意味を問われて,「If you have hundred patience, it will be peaceful.」と説明し,達磨祖師についても「He had been sitting a rock for long long time, and he had been patient with pain of foot. At last his legs and his arms disappeared. So he is a symbol of patince.」と解説したのですが,きょとんとしていました。
「お別れ会」に参加してくれた同僚教員たちです。オザヤ更正院には10名の教員と事務員2名,寄宿舎担当2名,調理場担当1名,夜警1名,それにマネージャーの17名のスタッフがいます。
オザヤでの活動最終日に同僚教員たちが「お別れ会」を開いてくれました。図書館をきれいに?飾りつけ,なぜかバックには「Welcom TAKANO san!」と書かれています。でも心がこもっていることが十分伝わる素敵な会でした。
オザヤでの活動最終日,今までお世話になった方々を訪ね,帰国の挨拶と記念写真撮影をしました。防犯扉の設置工事等でお世話になった棟梁です。街で出会うといつも「ソーダをおごらせろ」と言って,ソーダをご馳走になりました。とても優しいおじいちゃんです。
オザヤでの活動最終日。マタツステージに行って,いつもよく利用しているオザヤ~ニエリ間のマタツ前で記念撮影しました。オザヤからニエリまでは所要時間約30分,料金は50sh(約85円)です。運行会社が2社あって,いつも客の取り合いをしています。
オザヤのマタツステージです。いつもよくしてくれるマタツの兄ちゃんと記念撮影をしようとしていると,我も我もと集まってきて,ご覧のような状態に…。本当にケニア人って写真が大好きです。
オザヤは小さな山里の街なので,大きな街のようなスーパーマーケットはありません。しかし,いちおう“スーパーマーケット”という名前の付いた店は2軒あります。そのうちの1軒,「カニャンゲ2 スーパーマーケット」です。ケニアの店はだいたいがキオスクで,店の中に入るのではなく外から商品を見て,指差して「あれちょうだい」と言うのですが,スーパーマーケットは日本のように店の中へ入って商品を自分で選び,レジで精算します。ただし,この店,日本で言えば田舎の雑貨屋さんといった程度です。パンや卵,石鹸など必要最低限の生活物資は手に入ります。
オザヤの市場(Soko)の店です。市場では野菜や果物などの生鮮食料品を扱っています。オザヤの市場は現在建て替え中で,仮設のビニールテントのような店が並んでいます。私はたくさんある店の中で,自分の店を一軒決め,できるだけそこを利用するようにしていました。同じ店を利用することで,値段も安定しますし(いちいち値段交渉しなくても妥当な値段で売ってくれる),時々はおまけもしてくれます。
オザヤ更正院での最後の授業の様子です。この日は2年生と4年生の2クラス。いつものようにグランド1週ジョギングし,整列・点呼して,ストレッチです。この日のメニューはサッカー。私と見学に来ていた同期隊員も参加して,楽しみました。
オザヤ更正院での最後の授業に向かうところです。この日はお客さん(カカメガから見学に来た同期隊員)もいることだし,子どもたちと一緒にサッカーをすることにしました。ケニアの子ども達はみんなサッカーが大好き。「今日はフットボールだ」と言うと大歓声をあげて,グランドへと喜び勇んで駆け出していきました。
オザヤ更正院での最終活動日(3月9日)朝の全校朝礼(Morning Assembly)です。いつものように,スカウトクラブの行進(マーチ)で始まりました。
オザヤ更正院での最初で最後のラグビーの授業です。当たりとタックルについて基本を教えた後,2人1組になって,アタックとディフェンスに分かれて1対1をしました。タックラーは「ひざを突いた低い姿勢から,相手の太ももを狙う(首を太ももに当てる感じ)」「絶対に頭を下げるな」の2つしか言わなかったのですが,なかなかどうして様になってると思いませんか?
それにしても,芝生のグランドはいいですね。少々のことでは怪我しませんから。ケニアでできるのに,日本でなぜグランドの芝生化ができないのか疑問です。
オザヤ更正院での最初で最後のラグビーの授業。まずはパスを練習しました。初めのうちは楕円のボールに戸惑っていた生徒たちですが,すぐに慣れてきて,ご覧のようにそこそこ様になるようになりました。ただし,ひざが硬いので,下半身を使って投げることは苦手のようです。
オザヤ更正院での最初で最後のラグビーの授業。パスの後にステップを教えました。2人1組になって,アタックとディフェンスに分かれ,1対1でステップで相手を抜く練習をしました。やはりなかなかスピードのコントロールができず,上手にステップを踏める生徒はほとんどいませんでしたが,奇声をあげながらステップを踏む様子は可愛いというか滑稽でした。
「スポーツ章テスト」9種目め,最終種目の「10mドリブル」です。2mごとに5本のコーン(ペットボトル)を並べ,その間をジグザグにドリブルしていきます。10m先の5番目のコーンを折り返しスタート地点でボールを足で止めるまでの所要タイムを競います。
芝生の上に置かれたコーンは,本の少しボールが触れただけでも倒れます。コーンが倒れると,そこで競技を中断し,コーンを起こした後,続けなければなりません。一度リズムを崩すと,何度もコーンを倒してしまい,悪戦苦闘する生徒が続出でした。
でも,さすがにサッカーが大好きなケニアの子ども達。他のどんな種目よりも熱心に取り組んでいました。
今ターム「新聞クラブ」ではHIV/AIDS問題に取り組みました。地域のVCTを訪問したり,HIV感染者のサポートグループを訪問してインタビューしたり。その成果をまとめた学校新聞第2号「Daily Othaya Rehabilitation No2」です。
「スポーツ章テスト」8種目めの「スローイン」です。投擲種目を何にするか(日本だと「ソフトボール投げ」か「ハンドボール投げ」ですが,どちらも更正院にはボールがありません),カカメガ更正院の同僚隊員と相談した結果,ケニアの子供たちにとって一番身近なサッカーのスローインに落ち着きました。
いつも放課後はサッカーばかりしている子どもたちだから,きっとスローインも得意だろう,という予想を見事に覆し,半数近くの子が5~6mしか投げられない惨憺たる結果に。でも,中には20m近く投げる子もいて,個人差がとても大きい種目でした。
同期の隊員の職場です。同僚(カウンターパート)と一緒に撮影しました。場所はブンゴマからエルドレッドとカカメガからエルドレッドへ向かう道路の交差地点ウェブエです。「村落開発普及員」という名称にぴったりのローカル色あふれる職場です。「アフリカ(ケニア)の青年海外協力隊」と聞くと,たいていの日本人はこんな場所を想像するのではないでしょうか?
ヴィクトリア湖から2時間ほどにあるウェブエに住む同期隊員の職場です。典型的なケニア人のお宅って感じです。床はもちろん土間。天井もなくて,壁の上に屋根をかぶせてあるだけの構造なので,ネズミや虫など入り放題です。そのネズミに業を煮やしたらしく,室内で猫を飼っているのですが,こいつが蚤を連れてくるんです。おかげでオザヤに帰ってから,2日ほど蚤に悩まされました。
トイレはもっとワイルド。穴を掘ってあるだけの典型的な田舎のトイレ。男だったら何とか立ってできるからいいけど,ここにしゃがむ女性隊員は勇気がいります。何でもある日しゃがんでいると,隣のシャワールームからニワトリが入り込んできたとか。
カカメガで宿泊したホテルです。「ゴルフホテル」という名前ですが,少し離れたところにゴルフコースがあるそうです。カカメガの隊員が週末になると日常を忘れるために訪れるというだけあって,素晴らしいホテルです。プールもあり,食事はどれも美味しく(多少出てくるまでに時間がかかりますが…),部屋にはバスタブがあって“お風呂”にも入れます。これで1泊1300sh(約2000円)ですから,やっぱりナイロビとは物価が違います。この日は男3人部屋で抹茶をいれ,至福の時を過ごしました。
カカメガ更正院に配属されている隊員の授業風景です。彼は同じ更正院配属というだけでなく,職種も同じ青少年活動で,体育を担当しています。この日は“美術”の時間として,子どもたちに「自分の夢を絵に描く」という課題を与えていました。彼曰く,絵を描いた後で,自分の夢についてみんなの前で発表させ,さらにその夢を実現するために必要なこと(これからするべきこと)を書かせて,教室に掲示するんだとか。こうすることで,常に自分の夢・目標と対峙させ,毎日の生活にも張りを持たせるのが目的です。
「帰国前に一度は見ておかなければ」という思いで,“西”(ヴィクトリア湖周辺などウェスタン州)に向けて重い腰をあげることにしました。なぜ重い腰かって?そりゃあ,道路事情を知ると誰だって行きたくなくなりますよ~。穴の多いケニアの道路の中でも,ギルギル~ナクル間とナクル~ナイバシャ間は極めつけです。
でも今回は最初で最後のウェスタン旅行。しかも金曜日~日曜日の2泊3日という強行日程。こりゃあお金で時間を買うしかない!という訳で,飛行機でエルドレッドまで飛ぶことにしました。往復13000shであの「地獄の10時間」がなくなると思えば安いもんです。
ナイロビのウィルソン空港からエルドレッドまでは,たったの45分。あっという間です。飛行機は20人乗りの超小型プロペラ機ですが,ちゃんと酸素マスクも非常用ライフジャケット(実はシートを外すだけ)もあります。そして,ポケットにはジュースとクッキーまで。席はもちろんフリーシートで好きなところに座れます。ケニア人には機内はかなり狭いらしく,「拷問だ」「マタツの中みたいだ」と文句たらたらでしたが,「何を贅沢言ってるんだ!」って言ってやりたかったです。
到着したエルドレッド空港を見てびっくり。閑散としてはいるのですが,真新しい建物で,とてもモダン。日本の地方空港(福島空港など)にも負けてません。とりあえず国際空港ですからね。前大統領モイの肝煎で開港したそうですが,一日一体何便飛んでいるんでしょう?
「スポーツ章テスト」7種目めの「時間往復走」です。5mの距離に置かれたコーンを30秒間に何回往復できるかを計測し,これを5倍します。より厳密にするため,コーンに毎回タッチさせることにしました。これで強度は数倍になります。最後の方はみんなヘトヘトです。
「スポーツ章テスト」6種目めは走り幅跳びです。これは子供たちもやったことがあるようでしたが,助走が甘い,踏切が弱い,空中姿勢・着地姿勢が悪い等の理由で,なかなか期待するような記録はでません。ほとんど3m前後の横並びです。5m以上跳ぶ生徒がいてもおかしくはないのですが…
得意料理の一つ,白菜とベーコンの煮物(スープ)です。タマネギとベーコンを刻んで炒め,そこに切った白菜とピーマンを入れて煮るだけ。味付けはコンソメスープ,中華スープ,醤油です。白菜の甘みとベーコンのダシが効いて,いつ作っても本当に美味しいです。
ナクル国立公園のサファリツアーで出会った白サイです。近くで見ると,まるで恐竜そのものです。サイは臆病な動物なので,他ではめったに見られないのですが,ナクル湖は別。この日だけで8頭ものサイに出会いました。すごい密度です。絶滅危惧種であるため,ここから他の国立公園に移し,増殖を図っているそうです。
ナクル国立公園で出会ったキリンです。サバンナを悠然と歩いているキリンは本当に絵になります。これだけ背が高いと,どこからでも見つけることができそうですが,たいていは,この写真のようにアカシアの木がまばらに生えているブッシュにいて,けっこう見つけるのは困難です。
ナクル国立公園はアフリカ大地溝帯(グレートリフトバレー)の谷底にあって,周りは断崖で囲まれています。サファリカーで断崖を登っていくと,ご覧のようにナクル湖を一望できる素晴らしい展望台がありました。眼下にはナクル湖の湖岸を埋めるフラミンゴたちのピンクのカーペットや,点々と動物たちの姿も見えます。否が応でも地球・自然の雄大さを実感せずにはいられません。断崖の崖の上でジャンプして写真を撮りました。まるでナクル湖を独り占めしているみたいでしょ!?
ナクル国立公園で出会ったヒョウです。数が少ない上に樹の上にいることが多く,ガイドでさえめったに見ることができないという幻の動物です。それが,モーニングサファリを始めて間もなく,道端にひょっこりと,まるでお地蔵様のように座っているではありませんか!? 慌ててドライバーにバックしてもらい,撮影しました。何とこのヒョウは子連れで,子どもの愛くるしい姿だけでなく,樹によじ登って遊ぶ姿まで見せてくれました。何というラッキー!
ナクル国立公園のどこにでもいるバブーン(ヒヒ)です。車が近づいてきても全く逃げようとしません。「ここは俺たちの縄張りだ。勝手に入ってくるな。お前たちこそどけよ!」とでも言っているみたいです。そもそもなんで車の通る道路に出てくるのかなぁ。しかも道路のど真ん中に! でも赤ちゃんは人間そっくりでとても可愛いです。
ナクル国立公園で出会ったバッファローです。大きいものは1トンはあろうかという大きさで,迫力満点です。でも泥をかぶっているせいで,小汚いのが玉に瑕。10年前にタンザニア・ケニアを訪れた際には,このバッファローの肉(ワイルドミート)を食べたことがありますが,硬くて全然美味しくなかったのを覚えています。
ナクル国立公園の湖岸を埋めるフラミンゴたちです。湖の汚染と旱魃により,昨年は一時,一羽もいなくなったそうですが,今はこうしてかなり回復してきました。アルカリ性の湖にだけ生息するプランクトンを食べてピンク色になるというフラミンゴは,微妙で繊細な生態系を象徴する生き物と言えるのかもしれません。雁のように一列になって飛び立つ様子は幻想的で,上空から眺めると,まるでピンクの絨毯のようです。
ナクル国立公園で出会ったシマウマです。動物園で見るのと違い,自然の中で見るシマウマは実に美しい。それにしても,草むらにピンストライプはとても目立ちます。どうしてシマウマはこんなに目立つ格好になったのでしょうか?
ナクル国立公園内のロッジです。昨年の11月にオープンしたばかりだそうで,いかにも外国人専用といった感じの,ケニアとは思えないとてもおしゃれなラウンジです。オーナーはインド系だそうですが,マネージャーはケニア人とフランス人です。KWSで働く隊員の顔利きで,この日の食事は1500shのところ1000shにディスカウント。おまけにお代わり自由とすごいサービスでした。
オザヤの街にあるストリートチルドレンや孤児,貧困児などの施設,「カニャンゲ・フレンズ・オブ・チルドレン・レスキュー・センター」です。
2002年に設立されたNPOで,地元の人達がオザヤの街の貧困家庭の子どもたちに,十分な食事と寝る場所と教育の機会を与えようと始めたものです。
オザヤ更正院の教員Mr.Laban氏もここのスタッフの一人で,彼にセンターを紹介してもらいました。こういう施設がすぐ近くにあるなんて,今まで全く気づきませんでした。更正院ではなく,地域で自立更正を図っていくことが理想ですが,ここはまさしくそれを実践しているところです。
「カニャンゲ・チルドレン・レスキュー・センター」の正面です。オフィス,ドミトリー,教室,調理場,農場(シャンバ)があり,小さいながらも学校とあまり変わらないだけの施設をそろえています。施設の運営は4名のスタッフが全くのボランティアで行っています。また運営資金は,オザヤのタウンカウンシル(町役場),チルドレンズ・オフィサー(児童局長)といった公的機関のサポートの他に,KCB(ケニア・コマーシャル・バンク)など地元の民間企業,そして篤志家からの寄付で賄われています。
オザヤ病院にあるVCTを訪問した「新聞クラブ」のメンバーたちです。いつもは授業中眠そうにしている子どもたちですが,この日は初めて来るVCTに緊張しているのか,とても真剣な眼差しです。ケニアの子どもたちのいいところは,こうした場所でも物怖じせずに堂々と質問できること。日本の子どもたちにも見習って欲しいところです。
オザヤの街でHIVの感染者やその家族たちがやっている「サポートグループ」があるという話を聞き,見学と取材に訪れました。患者やその家族たちは,お互いの問題を話し合ったり,正しいケアの仕方や薬の飲み方といった“HIVとの付き合い方”を学び,自信を回復していきます。また誰かが不幸にしてAIDSを発病した際には,奨学のお金を出し合って治療費を捻出したりもします。
HIV感染者たちの「サポートグループ」を取材した際に,質問するKenneth Wachira君です。彼の中には「HIVはいったん感染したらおしまいだ。」「不治の病だ。」といった先入観があったようですが,グループの代表たちの話を聞くうちに,他の慢性疾患と同じように,適切なケアさえすれば,何十年も生きることができる。彼らを特別扱いする必要はない。今も普通に町の住民として暮らしているし,これからも暮らしていけるんだ。自分たちこそ態度を改めないと!と考えるようになったそうです。
「スポーツ章テスト」5種目めの「垂直跳び」の様子です。日本人はアフリカ人,ケニア人というと,マサイのようにいつもぴょんぴょん飛び跳ねているイメージがあるかもしれませんが,実は日本人と同じように個人差がとても大きいということを発見。そして,思ったほどジャンプ力はないということも…。一人だけ65cm跳んだ生徒がいましたが,だいたいは30cmほどで,日本人の方がましなんじゃないの?と思えてきました。
「スポーツ章テスト」4種目めの「1500m」です。オザヤ更正院のグランドはかなり広く,縦110m,横80mあるので,グランド4周でほぼ1500mになります。始める前は「最後まで走ってくれないんじゃないかな?」「途中で歩き出すんじゃないかな?」と不安に思っていましたが,実際やってみると,競争心に火がつくのか,みんなご覧のように一生懸命走ってくれました。ただ,思ったほどタイムは速くありませんでしたが。
「スポーツ章テスト」の第3弾は50m走です。芝生の上は足をとられて走りにくいのか,最高タイムは7.4秒どまり。マラソン王国,クロスカントリー王国のケニアにしては,何とも寂しい記録ですが,芝生の上を裸足で一生懸命走っている姿は,なかなかいいもんでしょ!?
オザヤの街で,ほとんど毎日のように利用している店です。カニャンゲさんの弟が経営しているスーパーマーケットなので,「カニャンゲ2 スーパーマーケット」というそうです。確かにキオスクよりは大きいのですが,スーパーマーケットとはとてもじゃないけどいえない代物です。でも,パンや卵,石鹸,100%ジュースなどを買えるのは,悲しいかなオザヤではここともう一軒のJakin Supermarketしかありません。
オザヤへ帰る途中,マタツの車中から撮影したキリアイニの街の様子です。オザヤからはマタツで15分ほどにあり,一番近い街なのですが,キリアイニはムランガ県。オザヤはニエリ県にあることもあり,ほとんどみんなニエリへ買い物に出かけます。マタツもニエリ行きの方が圧倒的に便数が多いですしね。ニエリに比べると小さな街ですが,それでもオザヤに比べると十分です。帰国までに一度は立ち寄りたかったのですが,毎回通過するだけでした。
「腕立て伏せ」に続いておなじみの種目「腹筋」です。30秒間で何回できるか回数を競います。これも,個人差がかなりでる種目。最低1回の子から最高29回の子までいました。面白いのは,必ずしも上級生,年長者の記録がいいとは限らないこと。大人になるにつれて,ウガリ腹になっていくせいでしょうか?
日本語クラブで書初めをしました。上級生(7・8年生)は漢字で「賀正」「亥年」,それ以外の子はカタカナで「ケニア」と書きました。みんな初めての筆と墨に悪戦苦闘。何度もなぞってしまう子や,横書きのクセで左によってしまう子が続出。だいたい,カタカナなんてまだ教えてなかったっけ?それでも,ご覧のようにとりあえずは様になってます。出来上がった作品は,テディベア交流している日本の2つの学校へ送ります。
オザヤから一番近い大きな街ニエリは,セントラル州の州都でもあり,いつも多くの人でごった返している活気あふれる街です。この街で私の行きつけのレストラン「ホットポット・レストラン」には,週替わりのメニューがあります。最近のお気に入りが「ポークマリネ」です。マリネ液に浸した豚肉をタマネギと一緒にいためただけなのですが,塩と胡椒しか味付けのないケニア料理としては,画期的な味なのです。添えられている野菜は,おなじみのスクマウィキ(ケールの仲間のホウレンソウ)です。
「腕立て伏せ」を頑張る子供たちです。「他の更正院も含めて,みんなで競争だ」「総合点のよかった者にはサーティフィケーション(褒美)をあげるぞ」と言ったのが功を奏したのか,みんな予想以上に頑張っています。
毎時間行っているストレッチの一つで,ふくらはぎを伸ばすものです。今でこそ上手にできていますが,初めのうちは指先が全く地面に届かない子どもがほとんどでした。恐ろしく体が硬いのです!
同じく毎時間行っているストレッチングの一つで,上腕部の外側を伸ばす運動です。日本の子どものように,ボールなどを“投げる”という運動をあまりしないせいで,これも信じられないくらい硬い子が多いです。
オザヤ更正院からKESTES奨学金を受けて中等学校へ進学したルーベン・ギタイガ君です。もとスクール・キャプテンだっただけあって,とっても誠実で何でもきっちりする性格の持ち主です。彼が元ストリート・ボーイだったなんて,とても信じられません。
KESTES公募制奨学生の一人,ピーター・ワフラ君です。彼の在籍するカハロ・セカンダリー・スクールは,ニエリからおよそ1時間,マタツの終点ムクルウェイニからタクシーで30分という,とても辺鄙なところにあります。
ナイロビにあるコーヒー専門店Java Cafeです。ケニア版スターバックスといった感じで,おしゃれな店内にゆっくりくつろげるソファ,そしてコーヒーはエスプレッソを中心としたイタリアンロースト。そして,この店(アダムスゲート支店)の一番の売りは何といっても「無線LAN」!コーヒーは1杯120shと高いけど,ネットカフェ(だいたい1分1sh)に行ってると思えば,2時間で元が取れる!?
ナイロビにある「コロちゃんコロッケ」です。まさかケニアでコロッケが食べられるとは思ってもみませんでした。しかも,1個30sh(約48円)と安い!種類もメンチカツ,コロちゃん,野菜コロッケなど日本と変わらないくらいあります。コロバーガー(50sh)もあって,2個も食べればお腹いっぱいになります。しかも,この店,近くなら宅配もしてくれるんです。それも無料!あ~,ナイロビ隊員が羨ましい!
ケニアの街中でよく見かけるレストランです。これよりも安い大衆食堂は「ホテリ」(Hoteli。ホテルとは微妙に違う…)といいます。メニューはだいたいどこも同じで,牛肉・鶏肉の焼いたものか揚げたもの,シチュー,ハンバーガー,そしてチップス(日本でいうフレンチフライ),チャパティ,ウガリ,ギゼリ(マメ)等があります。150~200shで,とりあえずお腹はいっぱいになります。
ナイロビ市内にチェーン展開しているおしゃれなカフェです。「ケニア版○ターバックス」といったところです。インスタントコーヒーが主流で,ホテルのレストランですら,コーヒーを頼むとお湯とインスタントコーヒーの粉が出てきて,「自分でどうぞ」ということの多いケニアで,エスプレッソもカプチーノもあり(アイスコーヒーまであります),しかもどれも美味しいです。ただし,一般ケニア人からすれば,かなり敷居が高い(コーヒー1杯100~150shしますから)のも事実です。
今回私がKESTESの奨学生として推薦したJohn Mwaura君の家族です。彼の家はKorogochoというナイロビのスラム地区にあります。治安も衛生状態も極めて悪いところで,観光客はもちろん,外国人はまず来ません。私はJohn君と一緒に歩いていたのですが,あちこちから冷やかし半分で声をかけられました。彼がいなければ決して歩くことはできなかったでしょう。
スラム地区にはたくさんのストリートチルドレンがいます。彼らの大半はタバコやシンナー(こちらではグルーという接着剤を吸引しています),バンギという麻薬などに手を染めています。実は,John君も更正院に来る前はそんなストリートボーイの一人だったのです。
彼のお母さんは7年前に亡くなりました。お父さんはアル中から肝臓を患い,今は寝たきりです。3人のお姉さんが一家の生計を支えていますが,みんな無職です。売春(1晩で300~500shにしかならないそうです)や物乞いで入る臨時収入が一家の収入の全てなのです。
雨季が終わって最近毎日よく晴れます。天気のいい日の朝(10時くらいまで)と夕方(5時半から夕暮れまで)には,オザヤの街からもきれいにケニア山が見えます。ケニア山は標高5000mを越えるアフリカで2番目に高い山で,山頂付近にはわずかですが氷河も残っています。この日は山頂付近の氷河や雪もくっきり見え,神秘的というか神々しい姿を見せてくれました。
収穫したダイコンでさっそく料理を作りました。まずはダイコンの味噌汁です。万能スライサーでダイコンを太目の千切りにしていれました。シャキシャキした食感を残すため,あまり煮込みすぎないのがポイントです。
結局全部で30本近くも収穫できました。ただし,10本くらいは途中で折れちゃいましたが…
これだけあれば,しばらく子どもたちの給食のおかずも困らないでしょう。
「野菜クラブ」で栽培していたダイコンが見事に育ちました。今日はみんなで収穫です。「無理に引っ張ったらダメだよ。こうやって前後・左右に揺すりながら,ゆっくり引き抜くんだよ」と説明したのに,あっちこっちでポキポキ折ってくれました。
ケニアのスーパーでよく見かけるキノコがあります。「オイスター・マッシュルーム」という名前で,白くてヒラタケを大きくしたような形をしています。前から気になっていたので,買ってみました。さて,どうやって調理するか?どうみても,あまり味はなさそうだから…そうだ,天ぷらにしてみよう!
結果は大成功。シャキシャキとしたエリンギのような食感で,味はやっぱりヒラタケかエリンギのよう。濃い目のつゆとの相性がばっちりでした。上の2つはピーマンです。
麻婆豆腐の素が日本から送られてきました。でも任地オザヤでは豆腐は手に入りません。ナイロビ上京まで待つか。でも食べたい! そこで,パスタソースにしてみました。豆腐と合うのならスパゲティにも合うはずだ。それに,見た目はミートソースだし…。果たして,何とも言えない美味しさでした。けっこういけますよ,これ。
雨季が終わったのか,最近晴れの日が続いています。天気のいい日の朝は,ケニア山がよく見えます。この日は山頂までくっきりと見えました。山頂付近に降り積もった雪や氷河(万年雪)まで! でも携帯のカメラで撮ったので,肉眼で見るほどにはきれいに撮れませんでした。残念…
瓶詰めエノキが残っていたので,マカロニにからめてみました。味付けはマヨネーズとエノキ本来の味だけです。でも相性ばっちりで,抜群に美味しかったです。
もう一品はナスとアーモンドスライス(これも残り物)を使って,ケチャップ味で仕上げました。
キリマンジャロが見えないので,諦めてさらに内陸のアルーシャへ(前日から激しい腹痛もあり,ダルエスに戻るのを諦めました)。ここはメルー山の麓町で,ここまで来ると気温もぐっと下がり,ケニアのような涼しい高原気候になります。
この日は少し奮発して街一番の高級ホテル(インパラ・ホテル)に宿泊。レストランだけでも4つもあり,他にもカフェテラスや土産物屋,外貨両替,旅行会社,ネットカフェ,そしてケニアへのシャトルバスと何でもあります。この日はたまたまタンザニアのキクエテ大統領が宿泊していたようで,たくさんのポリスがいて物々しい警備が敷かれていました。部屋(1泊72ドル=約5000円)はダブルベッドで,シャワーはお湯が出るのはもちろん,何とバスタブまでありました! ケニアに来て以来,半年ぶりにお風呂に入りました。やっぱり湯船はいいですねぇ。旅の疲れが吹き飛びます。
タンガから内陸へバスで7時間。キリマンジャロ山の麓町モシへやって来ました。モシはキリマンジャロ登山の玄関口。この日も多くのパーティと出会いました。これから登頂するタンザニア隊,昨日下山したばかりのモザンビーク隊など。もちろん外国人観光客も大勢います。
この日はモシ在住のタンザニア隊員が予約してくれたキンドロコ・ホテルに宿泊。ここのお奨めは4階の屋上レストランからキリマンジャロ山が見渡せること。しかし残念ながら,モシ滞在中はずっと雨または曇り空。キリマンジャロはうっすらとしか拝めませんでした。今年の異常気象のせいでしょうか。朝食時に少しだけ雲の切れ間から顔をのぞかせた時に写真を撮りました。でもやっぱり,肉眼のようには写りません。墨絵のようなシルエットになってしまいました。
タンガ一といわれる高級ホテルムコンゲホテルです。実は10年前(JICAの高校教師海外研修でケニア,タンザニアを訪問)にも同じホテルに来ています。その時はレストランでロブスターのテルミドールを食べて,むちゃくちゃ感動したのを覚えています。ロビーを入ってすぐ左手のバーカウンターを見て,当時の記憶がはっきりと蘇ってきました。ここはタンガ湾を見下ろす高台にあり,海風を浴びながら飲むビールが最高です。
タンガの魚市場に水揚げされたばかりの見事なカジキマグロです。ブルーマーリンの名前の由来となった美しい背びれの青がまだくっきりと残っています。一緒に移っている手と比べると,その大きさ(約1m)が分かると思います。
漁港の周りには魚市場があり,とれたての新鮮な魚を売っています。この日はレンコダイとコアジのような魚を売っていました。目もきれいで鮮度のよさが分かります。タンガ隊員はこのような新鮮なシーフードがいつでも手に入るんですねぇ。羨ましい限りです。
タンガの港です。このときは引き潮のためあまり綺麗ではありませんが,潮が満ちている時には紺碧の美しい海です。ここは漁港で,ダウ船が巧みに風を操りながら,すぐ沖合いの漁場でいろいろな魚をとってきます。船が戻ると仲買人たちが船の周りに群がり,直接交渉で魚を仕入れます。
昼食は地元のローカル食堂で。この店,なぜか「BBC London」という名前です。タンザニアのローカルフードはケニアのものとほとんど同じなのですが,味はタンザニアの方が一枚上。この日は牛肉のシチューかけご飯でした。
写真の人物が泊めていただいたタンガ隊員鈴木さんです。自宅でカメレオンを5匹も飼っている生物の先生です。
ダルエスサラームからバスで北へ374km,タンザニア第2の貿易港タンガへやってきました。ここには同期のタンザニア隊員が何人かいて,私はそのうちの一人鈴木さんの家に泊めていただきました。彼はタンガ・テクニカル・スクールで理数科教員として活動しています。
この日は学校を案内していただきました。この学校はテクニカル・スクールという名前ですが,今はAレベルの普通科のセカンダリー・スクールになっています(日本で言えば高校にあたります)。開校100年をこえる伝統校で,現タンザニア大統領キクエテ氏も卒業生という名門校です。タンザニア全国で毎年10位以内に入るという超進学校でもあり,休暇中にもかかわらず,教室や食堂などあちこちで勉強する生徒の姿が見られました。
パラダイス・ビーチ・バンガローを後にして,ストーンタウンへ戻ってきました。ザンジバルから大陸側(ダルエスサラーム)への高速船は,潮の関係で早朝と夕方にしかありません。ザンジバル全体がサンゴ礁に囲まれており,遠浅の港は引き潮になると船が停泊できないからです。
仕方がないので,飛行機でダルエスサラームに戻ることにしました。ザンジバル空港は本当に小さなローカル空港です(でもモンバサ行きがあるので国際空港)。5~6人乗りの小型セスナ機が中心ですが,私が乗ったのはそれよりは少し大きい50~60人乗りのプロペラ機でした。この飛行機,何と座席はフリーシートです!
例によって例のごとく30分以上遅れて空港に到着しました。ダルエスサラームまではたったの20分です。
この日はクリスマス・イブということで,クリスマス特別メニューを用意してくれました。バナナの葉のお皿にきれいな花が飾られ,サンタクロースのついた赤いキャンドルの下でのムード満点のディナーです。ついつい調子に乗って白ワインまで注文してしまいました。料理は寿司にロブスター,サラダ,鶏肉のシチュー風,天ぷらなどなど,これでもかと言うくらいのボリュームでした。おまけにデザートとして,三浦さんお手製のチョコレートケーキまでついていました。
宿泊先のパラダイス・ビーチ・バンガローは日本人オーナー三浦砂織さんが経営するホテルです。各部屋は写真のように10棟のバンガローに分かれています。中にはベッド,シャワー,トイレがついています。何よりも各バンガローの前にリクライニングチェアーやデッキベッドがあって,のんびり紺碧の海を眺めながら過ごせるのが最高です。また各バンガローの前には,ビーチ沿いにヤシの葉で葺かれたビーチパラソルがあり,そこにもデスク,デッキベッド,ハンモックがあります。ホンモノのビーチリゾートです。
この日の昼食はパラダイス・ビーチ・バンガロー名物の冷麺です。ケニアでもナイロビの韓国料理レストランで冷麺を食べることはできますが,こちらは和風冷麺。魚のダシがきいた汁がとっても美味しく,また麺は卵麺のようでした。
宿泊していた「パラダイス・ビーチ・バンガロー」でクリスマスのスペシャルイベントとして地元のマサイによるダンス・パフォーマンスが行われました。以前マサイビレッジで見たことがあるので2度目ですが,相変わらず見事なジャンプをしていました。
ストーンタウンからダラダラ(乗り合いバス。バスといっても,この日乗ったダラダラはトラックの荷台に屋根と椅子を取り付けただけのもの。ぎゅうぎゅうの人と荷物を積めるだけ積んで走ります。)に乗って東側(インド洋側)のパジェまで行きました。
ザンジバル島は思っていたよりもずっと大きくて,パジェまで2時間近くもかかりました。まあ,途中頻繁にバスが止まるし,パンクまでしたからですが…。
ようやくたどり着いたパジェの海岸。ワタムと同じくらい,緑色のどこまでも透明な海に感動です。
大聖堂の敷地内の一角にかつての奴隷たちの状況を生々しく伝える像がありました。写真のように首から鎖をつながれ,足にも足かせと重りをはめられて立たされていたそうです。ちょうど雨季で胸近くまで水に漬かっている姿がいっそう痛々しく,隣にいた白人観光客は思わず涙ぐんでいました。
ザンジバルのストーンタウンにある大聖堂です。この場所はかつて奴隷市場があった場所だそうです。アラブ人の奴隷商人たちが,東アフリカ一帯から集めてきた奴隷たちをここに拘留していました。でも現地ガイドによるとここは奴隷「市場」ではなく一時保管場所だったそうで,奴隷市場はバガモヨにあったということです。その後,19世紀後半にキリスト教の教会がその上に建てられました。
この日はちょうどクリスマスミサの準備中。幕や大道具はそのためのものです。明かり取りの窓の形や祭壇上のドームなど,何となくアラブ風・モスク風の雰囲気の漂う不思議な聖堂でした。
かつて“からゆきさん”たちが住んでいた家です。売春婦とはいえ,彼女たちは最初にザンジバルの地に足を踏み入れた日本人であり,また現地の住民たちとも非常に友好な関係を築いていたそうです。今は現地の人達の住居になっていて,往時の面影をとどめるものはありませんが,何となく住人の顔が純粋なタンザニア人・アフリカ人ではなく,アジア人・日本人の血が混じっているような気がしました。
18世紀,当時ザンジバルを支配していたアラブ人によって立てられた要塞「オールドアラブ砦」です。1498年のヴァスコダガマによる航海(一般に「インド航路発見」と言われていますが,たんに彼はアラブ人の船乗りを雇ってインド洋を渡っただけのこと。紀元前後からインド洋ではアフリカ~アラビア半島~インド間で活発な交易がなされていました。)以降,16世紀からポルトガル人がザンジバルを支配しますが,18世紀にアラブのオマーン帝国がポルトガルを追い出し,要塞を建てたました。
ストーンタウン文化センター(オールド・ディスペンサリー)の前です。ここ以外の「驚嘆の家(The House of Wonder)」や「パレス博物館」はいずれも入場料が必要(2000~3000tsh)ですが,ここは無料です。中は土産物屋くらいですが,神戸の異人館風のバルコニーやかつての所有者の説明(オマーン帝国のアラブ人)などがあり,十分です。
ザンジバルのメインタウンであり世界遺産でもあるストーンタウン。コロニアル風とアラブ風が入り混じった見事な建物がストーンタウン文化センター(オールド・ディスペンサリー)です。中には土産物屋や絵画のギャラリーがありました。タイル張りのアーケードが見事です。
タンザニアからザンジバルへ向かう高速船「Sea Express」です。この日の出航は午前7時30分。タンザニアの協力隊員連絡所(ドミトリー)を朝6時半に出発です。サイクロン接近中とのことで出航が危ぶまれましたが,途中でエンジンが1機故障して1機だけで航行するハプニングはあったものの,無事2時間ほどでザンジバルへ到着しました。船内ではDVD映画も上映され,思ったほど揺れもなく快適な海の旅でした。料金は外国人だと35ドルなのですが,タンザニア隊員にチケットを買ってもらってレジデント価格18500tsh(約1850円)で乗れました。
タンザニア最高級と言われるキリマンジャロホテルです。ここの2階にあるレストランは日本食もあります。この日はタンザニアで仕事をされている建設コンサルタントの方たちと一緒にロブスターや寿司など豪華な食事をしました。ケニア人シェフが握る寿司は少し酢の効きが甘いですが,トロやイクラなどとてもアフリカとは思えない豪華なネタで大満足でした。値段も21000tsh(約2100円)とタンザニアでは高いものの妥当なところです。
タンザニアを代表するもう一つのお土産といえば,マコンデ彫刻です。マコンデ高原に住むマコンデ族によって始められたという木彫で,人や精霊,動物などをモチーフにしています。材木は黒檀で,表面の白い部分から中の黒っぽい部分まで丹念に削りだし,自然の形を活かして製作されていきます。よく土産物屋で売られている真っ黒なマコンデは,靴墨を塗って光らせたものだそうで,実際は写真のようにブラウン~黒の間のような色です。ものすごく硬い木なので,職人は時間をかけて丹念に彫り上げていました。
タンザニアのビールその2,「サファリ」ビールです。あともう一つ,「キリマンジャロ」ビールがあります。たぶん日本では「キリマンジャロ」が一番有名かも。一部輸入酒を扱っている店にも置いてありますからね。
ところで,この写真を撮影したのは,ダルエスサラームにある日本料理店「Azuma」です。この日は天丼を食べました。懐かしい日本の味がしました。
タンザニアのビールその1です。ケニアのビールと比べると濃厚でビール本来の味がします。ケニアは元イギリスの植民地でしたが,タンザニアは一時(ベルリン会議から第一次大戦まで)ドイツの植民地だったせいかもしれません。ドイツビールの伝統を受け継いでいる感じです。
同じシーフードクリフで何とJAVAカフェを発見!でもどうやら名前がたまたま一緒というだけで,ナイロビJAVAカフェとは全然関係がないようです。それにしても,ここはタンザニアとは思えない別世界。小粋なカフェやレストラン,お土産物屋ががずらりと軒を連ねています。神戸のモザイクガーデンに少し似ています。
タンザニア隊員一押のカフェです。自家焙煎のいい香りが店の外まで匂ってきます。この日は暑かったので,アイスカプチーノを注文しました。アイスが呑めるのも,タンザニアでは数少ないと思います。味はなかなかのものでしたが,私にはナイロビJAVAカフェの方が美味しく感じました。
ティンガティンガ村の工房の様子です。こんな風に製作しているところを間近で見学できるほか,客の注文に応じた構図の絵も描いてくれます。でも彼らは修行中なのです。大家は自分のアトリエを別に持っています。
タンザニアを代表するお土産の一つティンガティンガアート。トールペイントで描かれた独特のデザインと鮮やかな色使いで日本でも人気です。10年前にここを訪れた時に上段左から2番目のものと下段左から2番目のものを購入し,きちんと額装して我が家を飾っています。
タンザニアの首都ダルエスサラームの中心地のラウンドアバウト(ロータリー)内にある「アスカリモニュメント」です。第1次世界大戦に従軍した兵士の慰霊碑だそうです。今では町のシンボルになっています。
モンバサの旧市街,オールドタウンです。細い路地が迷路のように入り組んでいるので,ガイドなしには回ることは不可能です。インド人街,アラブ人街,ポルトガル人街,イギリス人街に分かれ,ケニア・コースト地域の歴史の縮図のような街です。アラブ人街では,フォートジーザスと同じく家の玄関の扉に幾何学模様(アラベスク)とアラビア文字の格言(今では長老以外,住民でさえ意味が分からないそうです)が書かれています。最近では北から流入したソマリア人たちが増え,治安はかなり悪いそうです。
モンバサは一部陸続きになっていますが,本来は島です。島から対岸の本土へと渡るには橋か船になります。北へ通じるルートは橋が整備されていますが,南のリコニからは船だけ。2隻のフェリーが約30分間隔で往復しています。モンバサのメインルートに当たるせいもあって,フェリーは人でごった返しています(無料というせいもあるのかも)。船着場の周辺は白砂の美しいビーチになっていますが,金持ちのお屋敷・別荘がずらりと並び,プライベートビーチになっているため,庶民は入ることができません。
モンバサには,フォートジーザス以外にもいくつもの城砦跡が残されています。地図にも載っていないため,一般観光客は行くことは不可能ですが,モンバサで測量をやっている隊員の案内で“隠れ遺跡”巡りをしました。ここはかつてモンバサをポルトガルが支配していた時に築いた砦の跡で,砦から海へ出るために秘密のトンネルを掘って,海の侵食でできた洞穴へと続いています。干潮時に洞窟内に船を隠しておいて,満潮時にはここから海へと出て行ったそうです。その後,時代はぐっと下って第二次世界大戦中,イギリス軍の手によって改修が施され,通信施設や砲台などが整備されました。これらの跡も半分朽ち果てていますが,モンバサの海岸沿いのあちこちで見ることができます。もしかしたら,近い将来,観光ルートとして整備されるかも。
マリンディの魚市場で買ったロブスターです。一匹なんと1kg!!大きさが分かるようにおいたタバコの箱と比べてみてください! 蒸し焼きにして4人で食べましたが,ボリューム満点でした(やっぱりタルタルソースでしょ!)。 このロブスター,値段も1500sh(2400円)と格安。レストランだと,これの4分の1のサイズで同じくらい(1400sh~1800sh)しますから。 ロブスター以外にも,生タコ(1kg200sh),大きなエビ(一匹200g,2匹で300sh)も買って,ヴィラで調理して食べました。 お腹いっぱい,超贅沢な夕食でした。
バスコダガマがマリンディからインドのゴアに向かったのは,世界史の教科書にも載っている有名な話。そのヴァスコダガマの記念碑がマリンディにありました。インド洋に突き出たこの場所から,アラブ人の船頭に水先案内を頼んだのだとか。でも実はそれより半世紀以上前に,中国人の宦官和が,明の永楽帝の命でここまで朝貢を求めてやってきていたのも有名な話。ただし,こちらは和の記録にはあっても,今のマリンディにその痕跡を見つけることは不可能でした。
インド洋から水揚げされた,採れたてのキングフィッシュをカルパッチョで食べました。マリンディにある「I Love Pizza」というレストランです。見た目的にも味的にもブリそっくりで,脂ののった濃厚な味とオリーブオイルが絶妙なマッチングでした。左上にあるツナパテをつけて食べると,また味が変わって,2種類楽しめます。これで300sh(480円)です。
こちらも「I Love Pizza」で食べたリゾットです。イカやエビや魚などがふんだんに入ったシーフードリゾットです。おいしい上にボリュームも十分です。リゾットを待つ間,フォーカッチョも出してくれるので(無料サービス),お腹いっぱいになりました。さすが,マリンディに住むJOCV隊員お勧めの店だけのことはあります。
ワタムの海洋国立公園にあるマングローブ林です。普通は見るだけなのですが,地元の漁師と交渉して,ボートでマングローブツアーをしてもらいました(料金500sh=800円)。ちょうど夕暮れ時で,海を渡る風が涼しく,のんびりと手漕ぎのボートでクリーク巡りをしていくツアーは,至福のひと時でした。
ワタム海洋国立公園のマングローブツアー中に見た,インド洋に沈む夕陽です。魚の飛び跳ねる音,磯シギがねぐらへ帰る鳴き声,そして手漕ぎボートの竿が水をかく音。それ以外は何の音もしない,静寂に包まれた夕暮れ時です。
ワタム海洋国立公園でマングローブツアーをしました。国立公園のメニューにはないのですが,地元の漁師さんと交渉して特別に船に乗せてもらいました。クリークを遡ったり,かつての奴隷集積場所を案内してくれたり,2時間近くかけてゆっくりゆっくり船旅を満喫しました。
ワタム海洋国立公園のマングローブ林でくつろいでいます。ちょうど夕暮れ時で,インド洋の夕焼けに魅入っているところです。マングローブ林も見事でしたが,何よりも周りに何もない静かな入り江というのが一番気に入りました。本当に人工のものは,一切視界に入らないんです。
ワタム海洋国立公園のマングローブ林です。国立公園のエントランスで聞いたら,中には入らずにここを紹介してくれました。国立公園の中は100sh(レジデント料金。ビジターは500sh)かかるのですが…。ガイドが一人ついてくれたのですが,彼がとても素晴らしい方で,案内するだけでなく,私たちが「船に乗ってマングローブツアーしたい」と言うと,近くの漁師に交渉して船に乗せてくれました。
ワタムのバラクーダビーチです。「ケニア一綺麗なビーチ」と「地球の歩き方」に書いてありましたが,その通り,テレビや映画でしか見たことがないような海の色です。後ろに見えているダウ船やアラブ風のコテージが,ここがインド洋であることを教えてくれています。
ワタムのバラクーダビーチです。海と空の境目が分からないほど,真っ青(乳青色)の海です。あまりの海の綺麗さに自然に顔がほころんでいます。でも強烈な日差しのため,サングラスは外せません。
ワタム海洋国立公園のマングローブツアーでガイドと漁師さんが連れて行ってくれた場所です。マングローブ林の中の獣道みたいな細い道を歩くこと5分あまり,突然目の前に白い砂のグランドのような広場が現れました。何でもこの場所,かつて奴隷貿易が盛んだった頃,周りのマングローブ林に奴隷たちを隠しておいて,奴隷船が来た時にこの広場に奴隷たちを集め,沖に停泊した奴隷船に運ぶための“奴隷集積場”だったそうです。「地球の歩き方」などどんなガイドブックにも載っていない,地元の人しか知らない場所ですが,この地に立つと,歴史の一場面が脳裏に浮かんできます。
ワタムから5kmほど内陸に入ったGediにある15~16世紀の遺跡です。ここはかつての王宮跡。「地球の歩き方」には“アフリカのアンコール=ワット”と紹介されていましたが,なるほどかつての栄華をしのばせる建物跡や城壁が無数に点在しています。ただし,保存状態がよくないのと,案内表示がほとんどないので,観光客向けではありません。この王宮の門には明らかなイスラム文化の影響が見て取れます。かつてはインド洋交易の拠点として,モンバサやマリンディと並ぶほどの繁栄を誇っていたようです。
ワタムのAscot Hotelで食べたロブスターのペンネです。小ぶりのロブスターですが,しっかりダシがペンネに染み込んでいました。殻だけかと思ったら,中身もしっかり入っていてびっくり。日本だと殻だけ使い回ししてますよね。ここの料理は,本格的なイタリアンで,どれも上品な味です。
ワタムのビーチです。遠くに島が見えますが,干潮時にはこの島々まで歩いて行けます。さんご礁に囲まれた,限りなく透明な遠浅の海です。「ちゅらさん」とかテレビでしか見たことがないような,ちょっと言葉では表現できない美しさです。
ワタムのビーチで撮りました。こうやって上手くジャンプしている瞬間に写真を撮ると,ものすごく跳んでいるように見えるから不思議ですね。このジャンプ写真,実はケニア隊伝統のポーズです。
ワタムの「Come Back Club」で食べたエビのカクテル(Prawn Cocktail)150kshです。エビがぷりぷりですっごく美味しかったです。パスタも食べましたが,こちらは×。麺が湯がきすぎで腰が全くなかったし,最初「ミートスパ」を頼んだら,ミートソースだけが皿に乗って出てきてびっくり! 思わず「そんな食べ物はないやろ」と突っ込みを入れたくなりました。
モンバサのケニア・ベイ・ビーチ・ホテルで撮った夕暮れ時のモンバサの海です。灼熱地獄の昼間から一転,夕暮れ時には心地よい海風が吹いて,気持ちまでポレポレになります。でも,はまだら蚊の活動時間帯でもありますが…
モンバサのケニア・ベイ・ビーチ・ホテルです。部屋にエアコンはついてるし,シャワーはお湯が出るし,チェックイン時にウェルカムドリンクを出してくれるし,アフタヌーンティーはあるし(午後4時から5時まで。飲み物以外にほぼ15分おきにケーキやデザートの種類が変わるケーキバイキングもあります),ビリヤードもできるし,夜にはショー(アクロバティック。終わった後にはディスコに変わる)もやってるし,「完璧なリゾートホテル」です。これで一泊3000sh(1人あたり。ダブルルーム使用で一部屋6000sh),朝食・夕食の2食付は超お得です!(ちなみにハイシーズン価格なので,オフシーズンならもっと安いはず)
モンバサの海です。真っ青です。砂もサンゴが砕けたさらさらのパウダーで,沖縄とかのものよりもずっと粒が細かく,裸足で歩いていても全然痛くない,というか,超気持ちいいです。足元に見えている石垣までがホテルの敷地で,そこから先は公共のビーチになっています。ビーチにはマッサージ屋さん(1時間400sh。オイルマッサージ)や土産物屋,そしてラクダに乗ることもできます。
モンバサの海です。ラクダが見えますが,これは観光客を背中に乗せてビーチを案内してくれる「観光ラクダ」です。ここは昼食を食べた「Il Covo」というイタリアン・レストランです(宿泊先のケニア・ベイ・ビーチ・ホテルの隣)。ピザは注文を受けた後,専用の釜で焼き上げてくれる本格的なもの。それに,なぜか日本食(寿司や刺身)もあります。席からはこのようにビーチが一望でき,とても贅沢な時間を過ごせます。
モンバサ駅です。列車があまりにも長すぎるため,私たちが乗った後方の客車はホームからはみ出してしまい,線路に降りてホームまでてくてくと歩きました。駅はナイロビと比べてもさらに貧相で,KIOSKが1軒,レストラン(らしきもの)が1軒あるだけで,閑散としています。私のような“おっさん世代”には,なんだか懐かしいような,昔のターミナルの面影を感じることができます。
しかし一歩改札口を出ると,街の喧騒と客引きの騒々しい声に包まれ,さすがケニア第2の都市という雰囲気です。
ナイロビ~モンバサ間の列車の車窓から写したものです。午後7時にナイロビを出て,翌日の11時半過ぎにモンバサに到着しました。所要時間なんと16時間半(定刻では朝9時着)。それでもまだいい方だそうで,時には遅れに遅れて24時間以上かかることもあるとか(というか,そもそも駅に着いてみたら「今日は運休です」ということもしばしばあるとか…)。それもそのはず,駅以外はずっと単線区間なんです。だから,途中で貨物列車とすれ違うために時間調整をする時など,1時間以上停車していることもざらです。でも,それもまた旅の醍醐味の一つ。大袈裟に言えば,スワヒリ文化・ポレポレ文化を体現していると言えなくもない。ゆっくり,のんびり,旅を楽しみたい人にはうってつけです。
ナイロビ駅の前です。植民地時代そのままの,とてもレトロな駅舎です。駅前はバスとマタツの乗り場になっています。首都の中央駅の割には閑散としていますが,それもそのはず。ここから出る客車は,モンバサ行きのみ。しかも月・水・金の週3便だけです(モンバサからは火・木・日の3便)。輸送手段がトラックに変わってしまったことと,かつて国営だった鉄道会社が設備更新やサービス向上の努力を怠っていたために,利用客が激減してしまったことが原因のようです。でも,片道13時間半(午後7時出発,翌日の午前8時半到着)かけていく,のんびり優雅な旅はバスや飛行機にはない醍醐味を味わえます。
*ちなみに,かつてはモンバサからナイロビを経て,国境を越え隣の国ウガンダまで運行されていました。今でも不定期便ではキスムやブシヤまで運行されているようです。(料金表はあるけどタイムテーブルがないので,いつ運行されているのかは不明)
当日は4グループ(各4~5人)に分かれて,インタビュアー,記録係など役割分担もしました。最初はなかなか町の人たちに話しかけるのも恥ずかしがっていましたが,30分程度の限られた時間の中で,各グループ2~3人にインタビューすることができ,一回目としてはまずまずと言えます。
町の人たちの反応(オザヤ更正院に対する印象)は,私たちの事前の予想を超えて,とてもいいものでした。生徒たちにとっても,大きな自信になったようです。何せ更正院入所までは,社会や大人たちから阻害され,軽蔑される存在(ストリートチルドレン)だったのですから。このインタビューをきっかけに,どんな変化がみられるか,新学期が楽しみです。
「新聞クラブ」でオザヤの町の人たちにインタビューをしました。町の人たちがオザヤ更正院や生徒たちのことをどう思っているのかを知り,日頃の自分たちの行動を振り返ってもらおうというのがねらいです。
インタビューなど初めての生徒たちばかりなので,事前にインタビュアーとクライアント,記録係に分かれてシミュレーションも行いました。
テディベア交流している長谷小学校から,ベア(「くうま」くん)とウェルカムボックスが届きました。さっそく日本語クラブの生徒たちに披露して,いただいた品々を手に,みんなで写真をとりました。日本のお菓子「かりんとう」はすごい人気で,暴動が起こりそうな勢いでした(笑)
終わってからも,あちこちで風船で遊ぶ生徒たちの姿が見られました。
同じくテディベア交流している神戸市立大原中学校からも,ベアならぬキャラクター人形とウェルカムボックスが届きました。
中学生なので,自己紹介を英語で書いてくれてる生徒が多く,オザヤ更正院の生徒たちは熱心に読んでいました。でも男の子の長髪がこちらでは珍しいので,「こいつは男?女?」と議論になっていました(笑)
コマまわしはケニアにもあるので,とても人気がありました。
私の同期隊員(横浜市の現職小学校教員)が中国の桂林市の小学校に派遣されているので,「クリスマスカードを交換しよう」と呼びかけました。
左下が彼女の所属先である横浜市立東山田小学校から送られてきたカードで,左上のが中国・桂林市の芦苗(Ludi)小学校のカードです。
さすがに小学校の先生だけあって,メッセージを綺麗にデコレートしてあって,オザヤ更正院の生徒たちも「Beautiful」と感激していました。
中華の定番料理の一つ,酢豚です。ケニアの小麦粉は粘り気が強いので,片栗粉の代わりに使えます。野菜も自然の甘みがあるので,さっと油通しして,あまり炒めすぎないようにしました。ケニアのタマネギは赤タマネギなので,出来上がりの見た目が日本のとは異なります。
ビーフンを使った「焼きそば」です。ビーフンは一度お湯で戻しておいて,その間に野菜を炒めておきます。野菜に火が通ったらビーフンを入れて,味付けします。ビーフンを入れたら火はとろ火にしないと,すぐに焦げ付いてしまいます。
ケニアには日本のとよく似たウスターソースがあります。でもちょっとスパイシーなので,量を控えめにして,その分,醤油をいれました。
近所の子供たちがリリヤンでコースターを作っていました。もちろんケニアですから,リリヤンセットなんてありません。木の枝を組んで巧みにベースを作っていました。作品を持つ彼女たちの誇らしげな顔!
日本にもパッションフルーツはあります(日本名:時計草。奄美地方や沖縄などで栽培されています)が,外側が紫色で中身が黄色いですよね。これは「イエローパッション」といって,見たとおり外側が鮮やかな黄色をしています。形はほぼ同じですが,頭の方がややとんがった卵型をしています。
何よりも味が違います。普通のパッションフルーツは柑橘系のすっぱい味ですが,これは甘いんです!そして,種まで食べられます。写真のように2つに割って,中身を吸うと,種ごとちゅるちゅるっと喉に入ってきます。種をよく噛んでるうちに,口の中に甘さが広がってきます。一度食べたら病みつきです。値段も3~4個で10sh(約16円)とお手頃。
ケニアの魚といえば,ナイルパーチとティラピア。日本人には,脂ののったナイルパーチの方が口にあいますが,ケニア人は何でも揚げて食べるので,ティラピアの方が人気があります。
さて,そのティラピア。淡水魚なので少し臭みがあるのが難点。そこで,料理酒につけて臭み抜きをした後,トマトソースで煮込んでみました。トマトペーストにブイヨンです。ティラピア以外にはタマネギとピーマン,それにネギが入っています。
自宅前の畑に植えていたハツカダイコンが見事に育ちました。ハツカダイコンって,ほっておくと,長さ10cmくらいの立派な大根になるんですね。大きいものは「大根おろし」にして,おろしうどんとして楽しみ,普通のサイズのものはスライスしてサラダで楽しみました。
「野菜クラブ」の活動の様子です。子ども達は畑仕事が大好きで,私は種を渡すだけで何も指導していません(というか,できません)。このクラブは,たんに野菜を作るだけでなく,できた野菜を売って学校資金の足しにする,いわゆるインカムジェネレーションも目指しています。したがって,作る野菜も「大根」などケニア(オザヤ)では珍しいものが中心です。
ちなみに第1回目はナスビに挑戦しましたが,あえなく失敗。今はニンジンと大根にチャレンジしています。
ナイロビにあるドミトリーのジャカランダも,今が見頃です。なかなか紫色がきれいに写せなくて残念ですが,実物はもっときれいですよ。
ケニアの名物ともいえるジャカランダですが,原産地はケニア(アフリカ)ではなく中南米だそうです。植民地時代に欧米人によって移植されたそうです。
豚肉をリンゴとトマトと一緒に煮込みました。リンゴの甘酸っぱさが残るように,大きめのくし切りにしています。味付けはブイヨンと塩コショウだけのシンプルなものですが,さっぱりとした味に仕上がりました。
マラソン参加者で打ち上げに行きました。ウェストランドにある日本食レストラン「故郷」です。みんな満足感に満ち溢れた顔をしていますね。顔が赤いのはお酒のせいではありません。ケニアの強烈な日差しを一日中浴びていたために,日焼けしているのです。
私は「ディナーボックス」(1000ksh=約1600円)を注文しました。刺身,焼き魚2種,天ぷら,焼きうどん,厚焼き玉子などいろいろ入っていて,ボリュームたっぷりでした。
フルマラソンに参加した先輩隊員2人がゴールするところです。朝8時前から約6時間も走りっぱなしで,さすがに疲労困憊という感じです。それでも時速約7kmで走り続けた計算になるのですから,すごい! ちなみに,フルマラソン参加者(4人)の最高タイムは4時間8分でした。こちらは文句なしにすごい!
走り終わってスタジアムでハーフやフルの参加者の帰りを待っているところです。首に下げているメダル,分かるかなぁ? 75分以内で完走した人に与えられるものです。ちなみに私は52分でした。まだまだやるじゃん!
折り返し地点近くの看板です。この辺が一番きつかったかな。折り返しを過ぎると,道が分かっているのと,後から来る同僚隊員たちを探すのとで,あっという間に「あと2km」の看板まで来ていました。
10月29日(日)ナイロビ・マラソンに参加しました。15,000人を超える参加者がいたそうで,コースも人・人・人であふれていました。私は10kmのロードレースに参加。見事,52分(1170位)で完走しました!
すっかりオクラのとりこになってしまいました。オクラ料理その3,「オクラとトマトのドライカレー」です。オクラは食感を残すために塩もみしただけで,茹でていません。タマネギとひき肉を炒めて,トマトとオクラを入れたら,カレー粉(インドのものとタイのものをミックスしました)を入れます。味付けはブイヨンとトマトソースです。昼ご飯に最適の一品です。
翌週には,同じスーパーでなんとゴーヤを発見!さっそく「ゴーヤチャンプルー」にしました。
ゴーヤは種とわたを取り除いて薄めにスライス。豚肉は一口サイズに切って,お湯であく抜き&下茹で(ケニアの肉は冷蔵されていないので,下処理が不可欠。特に豚肉は一度お湯で処理しておかないと,大変なことになるかも…)。あと,日本から送られた「おつゆ麩」があったので,お湯で戻してダシ(カツオだし)に浸しておきます。
豚肉とゴーヤをよく炒めて,そこに溶き卵と麩&だし汁を加え,だし汁がなくなるまで炒めるだけ。最後にかつお節をてんこ盛りにすると,不思議とゴーヤの苦味がマイルドになります。う~ん,Tamu Sana(とっても美味しかった!)
10月7日(土)にナイロビの日本人学校で「日本人ふれあい祭り」が開催されました。ケニア協力隊員も,模擬店(餅),よさこいソーラン,活動展示などで参加しました。ケニアで在留届を出している日本人は750名ほどだそうですが,この日は300人以上の日本人が集まりました。ケニアに来て,こんなにたくさんの日本人を見たのは,これが初めてです((笑))
お楽しみ抽選券(ラッフル券)の前売りを3枚買っていたのですが,そのうち1枚で見事にポロシャツをゲット!好天にも恵まれ,とても楽しい一日でした。
JEARN(特定非営利活動法人 グローバルプロジェクト推進機構)の「テディベア・プロジェクト」で,日本の2つの学校と交流をすることになりました。「テディベア・プロジェクト」はテディベアを交換留学生に見立て,お互いの学校での出来事を日記形式で継続的に交換するプロジェクトです。
はじめに「ウェルカム・パック」といって,ベアとお互いの写真や手紙,日用品などを交換します。ケニアから送ったものは,左上から順に,
①ひょうたん製のしゃもじ,
②スワヒリ語の漫画(Cartoon Book),
③生徒が作った紙製の携帯電話&時計,
④生徒が作った紙製のカメラ,
⑤空き缶でできたランプ,
⑥ベア,
⑦生徒手作りのコマ,
⑧学校で配布されたAIDS啓発パンフレット,
⑨ケニアの子ども達の間で人気のあるBrick Game(乾電池で動くゲームボーイのようなもの。ただし1種類しかできない),
⑩古タイヤでできたマサイ族のサンダル,
⑪ひも(重い荷物を運ぶ時に使うほか,生徒たちは縄跳び代わりにして遊ぶ),
⑫ケニア女性の伝統的衣装カンガ
です。これに生徒たちの手紙(自己紹介&日本人への質問)とCD(グッズの使い方・遊び方を生徒が説明しているもの)を同封しています。
上記のグッズが入っている箱です。この箱自体も「スクールボックス」といって,ケニアの学校ではロッカー代わりによく使われているものです。アルミ製で,鍵もつけられます。これを教室ろや寄宿舎の自分のベッドの上において,中に学用品や身の回りのものを入れておきます。
このような形でケニア人の普通の生活を知ることが,交流の第一歩です。「サファリ」や「貧困」といったステレオタイプのイメージしかない日本の子供たちに,「自分たちと同じ」ところや「自分たちよりも工夫して楽しんでいるところ」を知ってもらえればと思っています。
さて,日本からはどんなボックスが届くことやら。楽しみです。
もう一品は「オクラの三色丼」です。オクラは塩もみしてさっと湯がいたものを,小さめに小口切り。卵はダシを加えて炒り卵に。そして牛ひき肉にショウガ,ニンニクを加えてそぼろにしました。見た目で分かると思いますが,もうお腹一杯!の一品です。
付け合せは,お昼と同じ「オクラのウメオカカあえ」と「キュウリの辛子漬け」。キュウリも同じスーパーで発見しました。日本から送ってもらった「辛子漬けの素」に漬け込むだけです。日本の食卓ですね~
ニエリのスーパーでオクラを発見!10年前の記憶では,アフリカのオクラは日本のものよりも大きかったのですが,今回見つけたのは全く同じ大きさでした。味も日本のオクラと一緒かな。少し味が濃い目かな。どの野菜もそうですが,土の違いからか,甘みが濃い気がします。
で,さっそく2品作りました。まず1品目は,「オクラのウメオカカあえ」。塩もみしたオクラをさっと湯がいて小口切りにし,かつお節,梅干のつぶしたの,醤油であえました。ずばり日本の味ですね。
なお,右側はビーフシチュー・スパゲティです。
ケニアで魚といえば,ヴィクトリア湖で取れる「ティラピア」か「ナイルパーチ」になります(インド洋側のモンバサとかに行けば,もっといろいろシーフードがありますが)。
こちらでは,ほとんどが揚げて食べるしかないのですが,一部,冷凍にして売っている所もあります。その冷凍のティラピア(フィレ)を使った「蒲焼き丼」です。ティラピアは日本の魚でいえば鯛に味が似ています。淡白なので,蒲焼きとかにはぴったりです。
あとは味噌汁。ナイロビのJACIIで味噌を買ったので,それを使って作りました。
ケニアで一番きれいな花といわれるジャカランダの花です。紫色の淡い花なので,写真に撮るとほとんど分からないのが惜しいところです。ちょうど日本のサクラに似ていますね。でも,花は桜よりも大きくて,桜のようにヒラヒラはかなく散るのではなく,ぼたっと落ちます。
「牛肉とレタスのオイスターソース炒め」です。牛肉は薄くスライスした後,酒にしばらくつけておきます。これで臭みが抜けるとともに,柔らかくなります。
レタスはニエリの街で偶然見つけました。たまに売っているようです。仕上げの段階でトマトを入れたことで,ケニアっぽくなりました。
硬くて臭い牛肉の処理にもだいぶ慣れてきて,これは本当に自画自賛の美味しさでした。
「新聞クラブ」の活動でオザヤの街の人にインタビューを実施しました。「オザヤの街の人たちは更正院のことをどう思っているのか?」をインタビューすることで,自分たちの行動を客観的に見れるようになって欲しいとの思いからです。
インタビューの前には,インタビューの仕方についてロールプレイ(インタビュアー役,記録係,町の人役)をして,インタビューのコツやコミュニケーション・スキル,マナー等について指導しました。
当日は4つのグループに分かれて,30分以内で3人以上を目標にインタビューをしました。初めてにしては,けっこうよく頑張っていたと思います。子供たちの顔も満足そうです。
1グループのインタビューの様子です。左から2番目と3番目の生徒が記録役,あとの2人がインタビュアー役です。アポなしですから,街の人もいきなりの訪問に戸惑ったり,断ったりして,なかなか苦労していたようです。
写真もクラブのリーダーにデジカメを渡して撮影させました。
おっとっと。ひざの高さでのハードルは,低学年の生徒や身体の小さい生徒には少し難しすぎたようです。何せ年齢も体格もすごく幅があるので,どのレベルに合わせてプログラムを組むか,いつも頭を悩ませます。
一番下の第2学年の生徒たちです。だいたい12歳前後なんですが,とても幼く見えるでしょ? こいつらの手のかかることといったら,そりゃもう大変です。英語もスワヒリ語も通じない,数字もかけない(数えられない),集中力は全然ない(ADHDというわけでもないだろうけど…)。小学校低学年の先生って本当に偉いな~と,改めて尊敬します。(私は高校教師)
この時間は4クラスが合同なので,2クラスずつに分けて,グランドにうつ伏せになるクラスと,その上を跳んでいくクラスにしました。「誰だ!うつ伏せ(Lie down on your face)っていったのに仰向けになってる奴は!」
知ってました?ケニアでの私の本業は体育教師なんです。日本では社会科教師ですが,日本でもよく体育教師と間違われていましたから(笑)
まあ,ず~っとラグビー部の顧問してましたからね。悪ガキどもの扱いは得意ですけど
今から授業開始です。グランドをまず1週走らせて(400mくらいあります。とても広いグランド&何と芝生なんです!),その後,クラスごとに整列,点呼(後ろから順番に番号を数えさせます)。
そして,学級委員長が前に出てきて,挨拶をします。「気をつけ(Attention!)」「Onegaisimasu!」そう,日本語で挨拶させているんです。声が小さいと「Sauti Kubwa!(もっと大きな声で)」とやり直しをさせます。もちろん,終わりの挨拶は「Arigatougozaimasita!」です。
日本から妻が食材を送ってくれました。これで一気に食のグレードがアップします。調味料も酢や酒などケニアでは手に入りにくいものがそろいましたから。本当に感謝です(日本にいる時はなかなか言ったことがないですが(笑))。
今日は「海草サラダ」と「カレー」。カレー粉はケニアにもありますが,やっぱり日本のカレーとは全然違います。この後,オザヤを訪問した某隊員にこのカレーをふるまったところ,「日本のお袋の味だ~」といたく感動していました。
ニエリの街で偶然「イチゴ」を発見。でも小さくてなんか悪い予感。食べてみたら,案の定,すごく酸っぱかったです。土壌のせいかな~
「オックステイル・スープ」は粉末のスープの素です。
喫茶店の定番メニュー「スパゲティ・ナポリタン」をケニアで作ってみました。日本との違いは,ケニアではケチャップではなく,トマトソースが一般的であること。トマトソースはケチャップほど甘くなく,トマトの味のみで勝負!って感じです。でもお陰で,たくさん食べることができます。見るからに“男の料理”って感じでしょ!
上の「ムファラ」(Mfara)で遊んでいるところです。もちろん手作りです。わっかの部分は油の入っていた入れ物のふたをくり貫いたものだそうです。倒れずに転がし続けるのには,なかなか技術が要ります
手作の携帯電話です。彼マーチン・キニュアの発想の豊かさには度々驚かされます。この携帯はなんと折りたたみ式なんでよ。デジタル時計も紙で作っていました。また,彼のパタパタ・ストーリー(紙をパタパタ折りながら物語が展開する紙芝居のような絵)は本当によくできています。
日本語クラブのメンバーです。日本語の挨拶(「お早うございます」や「こんにちわ」など)と自己紹介(「私の名前は○○です」),日本語の数の数え方(1から100まで)等を学びました。また日本の小学校,中学校,高校それぞれ1校と交流プロジェクト(「テディベア・プロジェクト」「ボックス・プロジェクト」)をしています。活動は毎週火曜日の放課後,午後3:15から1時間程度です
いつもの朝食です。ケニアのトーストは,かなりいけます。イギリス植民地時代の名残からかサンドイッチみたいに薄くスライスしたものが多いのですが,私は厚目が好きなので,スライスされていないものを買ってきて,自分でスライスしています。
右に見えるのはオムレツです。卵の殻は茶色(いわゆる赤玉)なのですが,黄身は日本のものよりも色が薄いです。サルモネラの心配があるので,ふわふわオムレツは楽しめません。
右上はドリンク・ヨーグルトです。なぜかヨーグルトよりもドリンク・ヨーグルトの方が値段が安いので,よく利用しています。どちらも味が濃くて,すごく美味しいです。
ビーフンで焼きそばを作ってみました。ナイロビ以外では,中華麺など手に入らないので,入手可能なビーフンで代用しました。焦げ付きやすいのが難点ですが,先に湯通ししておいて,別に炒めた野菜と絡めることで,何とかクリアしました。ソース焼きそばよりは塩焼きそばが合いますね。右側は卵入り味噌汁です。
早い話が「豚しょうが焼き」です。キャベツを敷いた上に乗せてみました。ケニアでは牛肉はどこでも手に入りますが,豚肉は少し苦労します。
コーン・クリーム・スープは,クラッシュコーンの缶詰を使って,粉末スープと牛乳で仕上げました。
ホワイトソースを作ったのですが,シチューにするには牛乳が足りなかったので,スパゲティのソースにしました。粉末スープの素と白ワインで味を調え,チーズを削ったものとベーコンを入れました。
こっち(ケニア)の牛肉は,とにかく硬くて筋が多くて臭いがきつくて…。この手強い相手をどうやったら美味しく柔らかく食べれるか?そこで,2つの調理法を試してみました。
左は一度茹でた後,炒めたもの。オイスターソースが決め手です。
右はビーフシチューです。汁がほとんどなくなるまで3時間くらい煮ました。
結果は,,,どっちも美味しかったです!苦労の甲斐がありました。
でも,その後ニエリの街で,いい肉屋さんを見つけて,こんな苦労も必要なくなりました。「なんだ,ちゃんとあるじゃん。まともな肉屋さん」
ナイロビに上京した時にナスビをゲットしたので,マーボーナスを作ってみました。マーボーの味をどうやって出すかに苦労しました。辛味はチリソース,これに味噌を加え,後は粉末スープの素(チキン味),醤油,それにオイスターソースでコクを出しました。何となく“それらしい”味になったと思います。
右上は以前紹介したビクトリア湖地方の小魚「キッピ」(Kippi)を使ったきんぴらです。ピーラーでひたすらニンジンを削ってあえました。仕上げにゴマをふっています。
学校で飼われている牛です。学校に牛がいること自体驚かれたかもしれません。でも大切な牛なんです。毎朝,当番の生徒がこの牛の乳搾りをします。つまり毎日,新鮮な牛乳が飲めるのです!ちなみに,私の自宅(学校の敷地内にある教員住宅)にも毎朝,生徒が牛乳を届けてくれます。絞りたてのとても濃い,美味しい牛乳です(ただし,衛生上の理由からそのままは飲めません。沸騰させてチャイやカフェオレにして飲んでいます)。他にも鶏も飼われています。こっちは卵をとるためです。
学校の近くを流れる川です。けっこう流れは急で,ちょっとした滝みたいなものもあります。暑い時期には,子供たちは皆ここで水遊びをします。週末になると,ここで洗濯をします。地域の住民も洗濯や水浴び,洗車などで利用しています。雨が降ると,赤土が流れ込んで泥水と化します。
学校からオザヤのタウンに向かう近道にかかっている橋です。丸太を組んだだけで,ところどころに隙間もあります。雨の時には滑りやすくて注意が必要です。でもここを通るとタウンまでは5分ほどで行けます。重要な生活道路なのです。
昨日のキッピをカレーにアレンジしました。ニンジンとジャガイモを入れて,小麦粉でとろみをつけただけ。ケニアで売られているカレー粉はとろみがないので,小麦粉で調整するところがポイントです。
もう一品は「鶏肉のケチャップソース煮」。鶏肉は小麦粉をつけてから揚げにしておきます。あとはタマネギ,ニンニク,ピーマンを細切れにして,よく炒めます。さっきの鶏肉を入れて,トマトピューレを加え,チキンスープを加えて煮込みます。チキンとトマトピューレの相性が抜群の一品です。
キッピ(kippi)はケニアの西部,ビクトリア湖地方でとれる小魚で,ルオー族の大好物です。これを汁物にしてみました。トマトを入れるところがケニア風。日本で言えばダシジャコのような感じで,素朴ですが日本人好みの味です。
ある日の豪華な朝食です。今は学校が休みなので,時間がたっぷりあります。LOHASなんていちいち横文字使わなくとも,毎日がロハス的生活です。もしかしたら,途上国の一番の贅沢は「ゆったり,たっぷりした時間」なのかもしれません。
メニューは「トマト入りオムレツ」「ベーコン」「オレンジ(見た目はみかんですが,中身はオレンジ)」「トースト」「(前日の残りの)クリームシチュー」「ヨーグルト」です。
定番メニューのクリームシチューです。ホワイトソースもちゃんとバターと小麦粉,牛乳で作りました。肉はミンチ肉を使用。この方がスープが出てコクが増します。他に具としては,ジャガイモ,ニンジン,タマネギ,ピーマンです。ケニアの野菜はどれも甘みが強く,シチューにしてもとても美味しく食べれます。
得意料理の一つ,「鶏肉のレモンあんかけ」です。鶏肉は小麦粉をつけて,さっとから揚げにします。レモンは2分の1個をスライスし,残り2分の1は絞ってジュースを利用します。タマネギは大きめのみじん切りです。ピーマンやパプリカがあれば,彩がきれになります。あとは簡単!フライパンに材料を全部入れて,タマネギが透明になるまで炒めた後,中華スープ(なかったのでチキンスープで代用)とレモンジュースを足して,ぐつぐつ煮るだけ。とろみが足りなければ,片栗粉(これもなかったので小麦粉で代用)を足すと,とろっと仕上がります。最後にごま油を回し入れると,さらに中華らしくなります。
もう一つの「カオマンガイ」はタイ風の鶏肉入り炊き込みご飯です。愛読している料理レシピのメールマガジンから転用しました。
オザヤ更正院には4つの寄宿舎(ドミトリー)があります。それぞれ25名ずつくらいが生活しています。本当は8つのドミトリーがあるのですが,老朽化により現在残りの4つは使われていません。今年の秋に改修工事を行うそうです。
ドミトリーには写真のように2段ベッドがあります。生徒たちのプライベートスペースはここだけです。マットや毛布は支給されています。またシーツや枕カバー等のリネンは週に1回洗ってくれます。もちろん食堂で3食食べることも出来ます。貧しい家庭出身の子供たちにとって,ここは安全で快適なシェルターなのです。
子供たちの遊びの一つで,日本でいう駒回しです。彼らはBilaって言っています。駒は日本のものより縦長で,木を削って自分で作ります。これに紐を巻きつけて飛ばして回します。回り始めたら,紐で何度もばしばしとたたいて,回し続けます。誰が一番長く回し続けることが出来たかを競っているようです。(というか,ただ回して遊んでいるだけのような気もします)
学校に生えているバナナの木です。オザヤは標高1800mほどにあり,今の時期(7月~8月)は朝晩10℃前後まで冷え込むのですが,それでもバナナが育つんですね。ケニアのバナナはフィリピンとかのものに比べると小ぶりです。キクユ族はこのまま生で食べますが,西の方へ行くと,揚げて主食代わりにしています。
オザヤ更正院の教室です。これは最高学年である8年生の教室。生徒数は8名です。緑色の机は,地元の銀行(KCB銀行オザヤ支店)からの寄付です。机の真ん中へんに蝶番が付いていて,天板が半分くらいぱかっと開きます。生徒たちは中に学用品や生活用品を入れています。よく見ると,鍵が付いているのが分かりますか?
教室の広さは8畳くらいでしょうか。日本と比べてとても狭く,また暗いです(蛍光灯が2つついています)。
日本と同じように前には黒板がついています。でも黒板といっても,コンクリートを黒く塗っただけのものです。チョークは生徒の代表(クラスリーダー)が保管していて,授業の時には出してくれます。また黒板消しはあったりなかったりですが,なくても雑巾やトイレットペーパーで消すから平気です。
教室の後ろに見える謎のスチール製の箱については,別の写真で…
箱の持ち主,ジュリアス君です。7年生(17歳)です。ケニアの学校小学校(Primary School),中学校(Secondary School)があって,その後,技術系学校(Youth Politecnic),高校(High School) や大学(CollegeやUniversity)に進学していきます。彼も元ストリートチルドレンです。
スクールボックスの中身(その2)です。食器洗剤やトイレ洗剤,歯磨き粉,歯ブラシ,石鹸,トイレットペーパーなどが見えます。お年頃なのか,ハンドクリームなんかも入っていたりします。彼だけのものをうまくよく整理しているものです。
箱(スクールボックス)の中身(その3)です。主に学用品ですね。ここザや更正院では教科書はあまり使用していないようです。生徒たちはもっぱら黒板をノートに書き写して,後で復習するという感じで勉強しています。でも先生によっては黒板の内容だけでは理解できない授業もあるようで(アンケートによると数学や英語の理解度が低い),自分で教科書や参考書(ガイドブック)を買っている生徒もいます。ジュリアス君も社会の参考書を持っていました。
新聞が見えますが,ケニアには日本のような宅配制度はありません。したがって,タウンまで行って自分で買っています(1部35ksh=約60円)。スワヒリ語のものもありますが,普及しているのはNationとStandardという英字紙です。したがって,学校で英語を習わないと新聞も読めない(情報も取れない)ということになります。ちなみに,テレビもスワヒリ語放送のニュースの時間以外は,すべて英語です。それもBBCやCBCなどをそのまま流しています。本当にみんな理解できているのだろうか?と思います。それとも,テレビを見れる人というのは,ある程度の収入があって,教養もある人に限られるのかもしれません。
学校の中庭,食堂(Dining Hall)の脇に設置されているチャイムです。授業の開始・終了や食事の時間,集会等の際の全員集合の合図などに用いられます。「こんなので聞こえるの?」と思われるかもしれません。実際,最初はよく注意していないと,なかなか分かりづらかったです。でも,周りに大きな道路もなく,静かなオザヤ更正院。慣れれば結構これで,離れたグランドにいても聞こえるものです。たたき方(回数と速さ)によって合図の種類を決めているところは感心しました。
これも定番メニューの「お好み焼き」。ケニアの野菜はどれも甘味が強くてとても美味しいのですが,キャベツもそのままサラダにしてもとても甘くて美味しいのです(しかも1玉5ksh=約8円ととてもリーズナブル)。美味しいキャベツをたっぷり取るには(余ったキャベツを処理するには)お好み焼きが一番!です。
作り方は,キャベツを千切り(スライサーを使ったほうが簡単)。ネギ(こちらではスプリング・オニオンという名前で売られています)は少し大きめの輪切り。あと具材として,ミンチ肉とニンニクを入れました。それにショウガ(あると味が引き立ちます)のみじん切り。以上の材料をボールに入れ,小麦粉(100gくらいかな,適当),卵(2個),ダシ(日本から持ってきたダシの素をお湯で溶いたもの。100gくらいかな,適当)を入れて,よくかぎ混ぜます(もちろん,手で!)。
フライパンを熱して,お玉でボールの中身を焼く。テフロン加工のフライパンだと,手で揺すってみて全体がスムースに動くようになった頃が,ひっくり返す目安。ためらわずに一気にひっくり返しましょう。
最後にソースですが,これが一番苦労しました。お好み焼きソースなんて売っていないので。そこで,まず醤油を全面に塗り,上からウスターソースをかけます。これでかなりそれっぽくなりました。後はかつお節と,あれば青海苔を振りかけて召し上がれ(あ,マヨネーズも忘れずに)。
タイトルこそ「ビーフストロガノフ」となっていますが,ようは超簡単で美味しいひき肉の炒め物です。作り方は,トマトとタマネギをみじん切りにして,タマネギがしんなりするまで炒めたら,ひき肉(牛肉に限ります。ブラックペッパーをたっぷり振り掛けると,男の味になります)を入れて,さらに炒めます。最後にウスターソースと隠し味の醤油を入れて出来上がり。
ご飯との相性がとてもよく,いくらでも食べられちゃいます。
こっちの牛肉は硬くてクセがあって,なかなかステーキでは美味しく食べれないのですが,マリネにすることで問題が解消されました。マリネ液には,ハーブミックス(いろんな種類のスパイスミックスが売られているので,お好みのものを使用)と白ワインビネガーだけ。肉は下ごしらえにブラックペッパーと塩をしておきます。後はただ焼くだけ。はじめはやや強火で表面に焦げ目をつけ(中の肉汁が出ないためのふたの役割もする),その後は中火に落としてじっくり焼きます。もともと硬い肉なので,日本よりも長い時間かけて焼く(ウェルダン)のがコツです。付け合せにトマトのソテーと,キャベツとトマトのサラダをつけました。
粉末ミネストローネにペンネを入れてみました。野菜はニンジンとグリーンピースのカット野菜にタマネギを加えています。具が多すぎたせいか味が薄くなってしまったので,ケチャップと醤油を足しました。何だか別の食べ物みたいになっちゃいました。
毎朝生徒が持って来てくれる新鮮な牛乳を温めてチャイも作りました。
ケニア人の好物はニャマチョマ(ケニア風焼肉)で,海岸部やビクトリア湖畔を除いてなかなか魚は手に入りにくいのですが,オザヤにも1件だけ魚(samaki)を出している店があります。そこで購入したナイルパーチの細切れ(いちおう骨抜きがしてある。45ksh=約70円)にケニア名物のカチュンバリ(トマトと玉ねぎを混ぜ合わせただけのサラダだけど,とてもおいしい)を添えてあります。
ご飯は隣でもらった鶏の卵(隣家は牛と鶏を飼っていて,毎朝鶏の声が目覚まし代わり)を使ってチャーハンを作りました。あとナスと玉ねぎの味噌汁です。
ミートソースはなぜかケニアで売っていなかったので,自分で作りました。ミンチ肉とトマトピューレ,玉ねぎ,ピーマン,ニンニク,ビーフコンソメに,隠し味としてウスターソース,醤油を入れました。自分でもびっくりするくらいおいしかったです。トッピングにはナスのソテーをあしらっています。
サラダはキュウリをスライスしたものとトマトのシンプルなもの。あとチャイがつきます。
肉じゃがの残りにカレー粉とオニオン&ジンジャーを加えてカレーにしました。カレー粉はタイ風のもので粘性は低いですが,とってもおいしかったです。
クリームスープはクノールのパック入りスープの素(マッシュルームスープ)に牛乳(学校の牧場で飼われている牛から毎日搾っている)を加えたものです。
これにコーヒー(ナイロビjavaのエスプレッソ)がついています。
オザヤの教員住宅に引っ越して初めて作ったご飯です。日本から持ってきた赤飯(アルファ米)に,肉と野菜の味噌炒め(ホイコーロー),そしてナスとネギ入りの味噌汁(味噌はナイロビのJACIIで作っているもの)です。デザートにミリオネラ(日本名「でこポン」)をつけました。
ケニアの名物料理ニャマチョマ(炭火焼肉)ですが,マサイ・ビレッジのものは一味違います。普通は牛肉(ンゴンベ)ですが,ここではヤギ(ンブジ)です。しかも生きたヤギをまるまる1頭半つぶして焼いたものです。ビレッジ内の屠殺場でつるして解体している様は豪快そのものです。骨ばっかりに見えますが,骨の周りの肉がまた美味です。味付けは塩だけというとてもシンプルなものですが,病み付きになる味です。
スワヒリ語の学校JACIIで一緒だった人の勤める貿易会社の社長(日本人)のご招待で,ナイロビ郊外にある「マサイビレッジ」に行きました。ここは休日のみ営業している幻のレストランで,写真のようにマサイのダンス・ショーも見れるエンターテイメント・レストランです。
子供たちの給食です。ギゼリという豆を煮込んだものを食べています。教室の中は暗いので,みんな思い思いのところに座って食べています。これで栄養足りるのかな?とちょっと心配になりました。
学校見学の後子供たちとの交流会が始まりました。学年別に様々な演技や歌を披露してくれた後,マシモニユースによる素晴らしい歌が披露されました。私たちからのお返しとして,日本の歌(チェリー)と折り紙のプレゼントをしました(武藤隊員の学校の生徒さんたちが折ったものに,私たちも足して一人一ずつ行き渡るようにしました)。
キベラスラムにあるマシモニスクールは,早川千晶さんが支援するNGOです。「キベラの人たちが自立できることが一番」と,他のどこからも支援を受けず,自分たちで運営しています。
中でも印象的だったのがマシモニユースと呼ばれる若者たち。元々は同じキベラスラムで育った彼らですが,現在は自分と同じ境遇にある子供たちを支援するため,ボランティアで教師や学校の用務員をしています。その傍ら,メンバーの一人が始めたコーラスグループが,今やケニアでもコンクールで上位入賞の常連となるくらいのレベルで,その圧倒的な声量に歌詞など全く分からない私たちでも,十分に感動を味合わせていただきました。
キベラスラムにあるマシモニ・スクールの授業の様子です。ナーザリー(小学校入学前の3歳~6歳までの子供たち)クラスです。電気がないので暗いですが,子供たちは大変明るく元気に授業を受けていました。途中で一番前の席の子ども2人が喧嘩を始めて,一人が叩かれて大泣きしたのもご愛嬌でした。
キベラスラムの中を通っている鉄道(Kenya Railways)の線路です。ナイロビを通り,東はインド洋岸のモンバサと西はビクトリア湖畔のキスムを結んでいます。
この風景,どこかで見た記憶はないですか? そう,映画「ナイロビの蜂」の最初の方に出てくるシーンはここで撮影されたものです。この場所から谷底の方へとキベラスラムは広がっています。ここから見るスラムの風景は圧巻です。でも,雨季には雨が全て谷底に流れ込んでいくそうで,そうなると下の方(もちろん下の方ほど条件が悪い)は大変悲惨な状況になります。時には,人間の死体も流れてくるそうで…
東アフリカ最大といわれるキベラスラムに行ってきました。幅10数kmにわたって,写真のようなスラム街が延々と続いています。ナイロビにはキベラ以外にも大きなスラムが2つあります。キベラもあまりにも大きいので,内部は13の地区に区分けされています。今回訪れたのは,そのうちのマシモニ地区です。
ナイロビにあるハリクィーンズというラグビーチームのグランドです。インパラ・クラブと並んでケニアの強豪チームです。このグランドでは,セブンスの大会も開かれるほどで,スタンドやクラブ・バーをはじめ,設備はかなり整っています。
毎週日曜日になると,周辺に住むラガーメンたちが集まってきて,タッチフットボールを楽しんでいます。私も時々参加させてもらっています。元ケニア代表選手なんかもいて,なかなかレベルは高いです。しかも前後半90分近く(ほとんどフルのゲーム)延々とゲームを続けます。人数によってタッチラインを広げたり狭めたりして,少ない人数でも楽しめるようにしているところは,日本人にも参考になります。