オザヤ更正院での最後の一日
いよいよオザヤでの最後の一日となりました。前日からカカメガにいる同期隊員も来てくれて,一緒に一日帯同してくれることになりました。専属カメラマンです。
この日は金曜日なので,全校朝礼(Morning Assembly)の日です。いつものように,スカウトの行進から始まり,国旗掲揚,聖歌隊の歌とお祈り(この日はプロテスタントでした),先生たちのお話と続きます。
9時40分からは最後の授業です。金曜日は2年生と4年生の2クラス。「最後の授業だし,お客さんも来てくれているから,サッカーをしよう!」というと,歓声をあげながらグランドへと飛び出していきました。
いつものようにグランドを1週ジョギングした後,整列・点呼し,ストレッチングです。今日はいつもよりも大きな声で元気一杯です。それもそのはず,お客さん(同期隊員)に加え,周りにはスポーツ大会に参加する他校の生徒たちが早くも集まってきていて,その視線にさらされながらなのですから。自意識過剰な彼らは,ヒーローにでもなったような気分なんですね。
たくさんの観客に囲まれながらサッカーが始まりました。私はキーパー。私のチームの方がどうも強かったようで,ほとんどキーパーにはボールは回ってきません。そのうち退屈になって,前線まで攻撃参加していきました。子ども達は私が必死でボールを追いかけているのを見て,大はしゃぎです。
授業が終わって,子供たちと一緒に記念撮影をしました。
職員室(Teachers' Room)に戻って,いつものようにお茶(チャイ)をして,同僚教員に荷物を引き渡した後(私の持ち物はほとんどケニア人同僚が買ってくれました。もちろん,格安プライスですが),お昼までの時間を使ってオザヤのタウンへ出かけました。
これまでよく利用した店やお世話になった人達に,お礼と帰国のあいさつ回りをしました。まずは,毎日のように利用したSoko(市場)です。できるだけ同じ店を使って仲良くなることで,値段もまけてくれますし,おまけもしてくれます。
次は,オザヤに2軒あるスーパーマーケット(もどき)「カニャンゲ2 スーパーマーケット」です。オザヤの店は,野菜など生鮮食料品を売るSoko(市場)と日用品を売るKiosk(雑貨店)がほとんどです。Kioskは店の外から並んでいる商品を見て,「あれちょうだい」という感じで商品を指定して買うのですが,スーパーマーケットは日本のように店の中で自分で商品を選び,レジへ持っていって精算します。もっとも,オザヤのスーパーマーケットは,日本で言えば田舎の雑貨屋かスーパー程度で,日用品がいちおう一通りは揃いますが,品数は非常に少ないです。そこで私は(地元オザヤの人達も)週に一度はニエリやナイロビなど大きな街へ出かけて行き,そこで肉や米などの買い物を済ませていました。
タウンの中心地へと向かい,郵便局とマタツステージにも足を運びました。郵便局長はあいにく不在でしたが,副局長が快く出迎えてくれました。マタツステージでは,一番よく利用したオザヤ~ニエリ間のマタツ前で写真を撮りました。オザヤのドル箱路線で,15~30分おきに頻発しています。また2社が運行していて,いつも客の奪い合いで喧騒に包まれています。片方だけ写真を撮るのは悪いので,両者のマタツ前で撮りました。すぐに地元のジョブレス(仕事がなく一日中マタツステージでうろうろしている人達。仕事は空いているマタツに乗り込んで他の客を乗りやすくする,いわゆる“サクラ”)達が集まってきて,「俺も撮ってくれ」と大騒ぎになりました。
最後に街の職人たち(Fundi)への挨拶回りです。一番よくしてくれたのが,学校出入りの業者Fundi Mainaと,金物細工の棟梁Fundi Mzeeです。中でもFundi Mzeeは,街で会うたびに「ソーダを飲んで行け」と言って近くの店でソーダをご馳走してくれました。彼は街の人々からも一目置かれていて,彼と親しくすることで,街の人々も私を認めてくれた気がしています。
こうして一通り挨拶回りを終えて学校へ戻ると,ちょうど「お別れ会」の時間となりました。初めに聖歌隊(Choir)の子ども達による歌と踊りのパフォーマンスです。真昼間の屋外の強烈な日差しの中,汗びっしょりになりながら私のために歌い,踊ってくれました。途中,私の名前を呼んで踊りの輪に参加させるサプライズもあったりして,楽しいひと時でした。
その後,会場である図書館へ移動しました。ひな壇が設けられていて,私の席の後ろには「Welcome TAKANO san!」(帰るのに何でウェルカム?)と書かれたボードが貼られています。また,色とりどりのモールも飾り付けられていて,びっくりしました。
先生方やマネージャーからねぎらいと惜別の言葉が続いた後,皆さんがお金を出し合って買ってくれたプレゼントが渡されました。中には,アフリカの動物たちをかたどった木彫りが5体入っていました。先日ナイロビでコーヒーやTシャツは買いましたが,木彫りは買っていなかったので,ちょうどいいお土産となりました。
お返しに,日本から持ってきた日本グッズを全員に分け与えました。男性教員には暖簾,女性教員には扇子,マネージャーには浴衣生地の作務衣,そして教頭(Deputy)には“百忍大和”と書かれた掛け軸をプレゼントしました。意味を問われて,英語では「If you have hundred patience, everything will be peaceful.」と答えました。「Of course, in your house, you have to have hundred patience with your spouse.」と言うと,みんな大笑いでした。
こうして和やかに「お別れ会」(Farewell Party)は進んでいきました。ただ,私には残念なことが一つありました。子ども達が参加させてもらえなかったことです。私はてっきり子ども達も参加するものと思って,前日の最後の「日本語クラブ」で「蛍の光」の練習をし,「スポーツ章テスト」の各種目チャンピオンに渡す賞状を用意していたのに,肩透かしを食らったようでした。仕方がないので,会がお開きになった後(ケニアでは「これでお別れ会を終了します」というようなのはなく,食べ終わった人から三々五々主賓=私に挨拶して出て行きます),子どもたちを集めて,日本から持ってきたビー玉をプレゼントした後,キャプテンのケネス・ワチラ君に賞状を託しました。
これで私のオザヤ更正院での活動は全て終了です。日本で長年教員をしてきた経験からすると,実にあっさりとした幕切れでした。考えてみれば,学期の始まりや終わりもあっさりしていますし,生徒の出入り(リリースやインテーク)も何の儀式もなしです。卒業式を除いては,これがケニア式なのかも知れません。(それとも更正院だけ?)














